ダブル・インパクト 明治ニッポンの美 「東京藝術大学」×「ボストン美術館」

見どころ
  • 時代と章分け
  • プロローグ 黒船が來た!
  • 第1章 不思議の國JAPAN
  • 第2章 文明、開花せよ
  • 第3章 西洋美術の手習いたち
  • 第4章 日本美術の創造
  • 第5章 近代國家として
  • プロローグ 黒船が來た!
  • 第1章 不思議の國JAPAN
  • 第2章 文明、開花せよ
  • 第3章 西洋美術の手習いたち
  • 第4章 日本美術の創造
  • 第5章 近代國家として
第3章 西洋美術の手習いたち
こんな作品をつくってみたい…西洋文明の波が日本に大きく押し寄せる中、美術の世界も日本の近代化に呼応するように、西洋美術から積極的に学んだ。実技の習得が困難だった幕末開国期には、横浜居留地にいたイギリスの報道画家チャールズ・ワーグマンが、高橋由一や五姓田義松に油絵を教えた。また1876(明治9)年には工部美術学校が設置され、西洋のアカデミックな講義が行われた。画学教師アントニオ・フォンタネージのもとでは、松岡寿、小山正太郎、浅井忠らが学び、彫刻はヴィンチェンツォ・ラグーザが指導にあたった。しかし1883年には工部美術学校は廃校。洋画排斥の機運が高まる中、小山、浅井らは1889年に明治美術会を結成する。この章では、明治前期の洋画家たちと、日本への西洋美術移入に大きな役割を果たした3人の外国人ワーグマン、フォンタネージ、ラグーザの作品から、日本における西洋美術の受容の軌跡をたどる。

1860

1870

1880

1861年(文久元) 
ワーグマン来日

高輪鉄道蒸気車之全図

松岡寿(1862-1944)|凱旋門|

1882年(明治15) 23.2×31.0cm
松岡寿は工部美術学校でフォンタネージに学んだ洋画家のひとり。
イタリアに留学して堅実な油彩画描法を学んだ。
本作は留学中に描かれたローマの凱旋門である

1866年(慶応2) 
高橋由一、
ワーグマンに入門

1876年(明治9) 
フォンタネージ、
ラグーザ来日、
工部美術学校開校

梅園唱歌図

五姓田義松(1855-1915)
|自画像|

1877年(明治10) 73.3×55.0cm 
1877年(明治10)に開催された第1回内国勧業博覧会に出品された作品。いち早く油彩画技法を我がものにした義松の自信に満ちた表情が印象的である。

1878年(明治11) 
山本芳翠渡仏、
フォンタネージ帰国

1880年(明治13) 
五姓田義松渡仏

東京名所従吾妻橋水雷火遠望之図

ヴィンチェンツォ・ラグーザ
(イタリア、1841-1927)
|日本婦人|

1880-81年(明治13-14)
高62.1cm
1876年(明治9)、工部美術学校の彫刻教師として来日したラグーザは、日本人を妻とし、多くの日本人たちをモチーフにした作品を制作した。

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Photographs ⓒ 2014 Museum of Fine Arts, Boston.

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