五姓田義松(1855~1915)

外国人相手に洋風の肖像画を売る初代五姓田芳柳のもとに生まれ、幼い頃から筆を執る。たぐいまれな描写力に父が期待したのか、1866(慶応2)年、10歳のときにワーグマンに入門した(翌年にワーグマンの門を叩いた高橋由一は弟弟子。30歳近い年齢差がある)。創立したばかりの工部美術学校に入学したが、もはや学ぶことはなく早々に退学。パリに留学し、日本人として初めてサロン(官展)に入選した。しかし、その生活は次第にすさみ、酒におぼれ、帰国後も目立った成果は上げられなかった。五姓田という名字は、五回も改姓したことに由来する。