横山大観(1868~1958)

東京美術学校の第一期生。世界に誇れる新しい日本画を作ろうとする岡倉天心の薫陶を受け、日本美術院の創設に参加。新しい描法、画題、構図などを積極的に試みる。菱田春草とともに挑戦した「朦朧体」は、日本画の命である線を用いず、色のにじみやぼかしで空気を描き出す方法。これは「化物絵」「幽霊画」と揶揄され、日本ではさっぱり評価されなかったが、アメリカでは売れたという。天心亡きあと、日本美術院を再開し、押しも押されもせぬ画壇の中心人物として第二次世界大戦後まで精力的に活動した。1940年頃からは「日本の魂」の象徴として、富士山をモチーフとした作品を多く残している。